マイライフ 公務員時代

1999年~2012年までの13年間に亘る公務員時代を振り返ります。

公務員時代は、土木技術職として主に都市開発を担当しました。公務員と言えば、区役所の窓口業務をまず思い浮かべると思いますが、私は現場を渡り歩いた部類です。

大阪市役所に入った当時は同期が100人以上いましたので、新人研修で沢山の知り合いができました。数カ月の新人研修を経て配属先が決定するのですが、私はまず阿倍野再開発事務所に所属となりました。同期の多くが淀屋橋にある本庁配属になる中、取り残された気分でしたが、いきなり現場経験をすることにより、心身ともに鍛えられました。

入社3年後、港湾局に転属になり、WTCビル39階が職場でしたので、大阪港を一望できる環境でしたが、初めのうちは高層エレベータの耳鳴りに悩まされた記憶があります。港湾計画を担当させて頂いたので、あまり馴染みのなかった大阪港について詳しくなりました。

その後、大阪駅北地区(1期:現グランフロント、2期:現グラングリーン大阪)、高速道路(淀川左岸線)、UR都市機構、区画整理事務所と2~3年毎に違う現場を渡り歩き、都市開発に関すること全般を経験させて頂きました。お陰様で土木マインド(強靭な肉体とメンタル)が身についたと思いますが、疲労困憊状態でしたので転職を考え始めました。

大学時代にしていたバイトの先輩がちょうど弁理士をしていたので、色々アドバイスをもらった上で、35歳の時に弁理士の試験勉強を始め、38歳の時に弁理士試験に合格し、転職する決意が固まりました。

1999年4月~ 大阪市役所 入社 :都市整備局阿倍野再開発事務所 阿倍野再開発事業(現ハルカス)のインフラ工事・調整(インフラ工事工程調整等)・予算を担当
2002年4月~ 港湾局計画課 異動 大阪港の港湾計画、港湾情報のIT化、環境計画を担当
2005年4月~ 建設局区画整理課 異動 大阪駅北地区開発の調整(インフラ工事工程調整等)を担当 大阪駅北地区(1期:現グランフロント、2期:現グラングリーン大阪)の開発計画立案
2006年4月~ 建設局街路課 異動 阪神高速道路建設にあたり計画、用地取得、予算、設計、調整(インフラ工事工程調整等)を担当
2009年4月~ 係長昇格 独立行政法人 都市再生機構出向 :大阪駅北都市整備事務所 大阪駅北地区1期(現グランフロント大阪)の開発にあたり計画、予算、設計、調整(インフラ工事工程調整等)を担当
2011年4月~ 大阪市復帰 :都市整備局長吉東部土地区画整理事務所工事係長 大阪市平野区の都市開発(区画整理)にあたり予算、調整(インフラ工事工程調整等)、工事を担当
職歴

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