実施可能要件
特許法第36条第4項第1号は、発明の詳細な説明が当業者にとって明確かつ十分に実施可能であることを求める規定です。今回は、実施可能要件が争点の一つとした無効事例を紹介します(令和7年(行ケ)第10110号 審決取消請求事件)。特許請求の範囲に記載された発明がどのような作用機序で実施できるかについて、明細書に記載しておくことが求められます。
(要旨)本件明細書の記載によれば、本件発明は、①温調装置において、媒体が媒体管内を流動する際に発生する静電気や、媒体自身がその極性及び静電気により集合して生じるクラスターにより、媒体の流動性が低下してしまうという課題(前記1⑶)があることを前提に、②媒体管に周波数20kHz以上60kHz以下で繰り返されるパルス状の減衰波信号を与え、媒体に対して一定のダイナミズムをもったモデルで脈動的に和電子を供給してクラスターを小さくする(分解する)ことで上記課題を解決し((同⑷、⑹)、③より高い熱伝達効率を達成する効果を得るものである(同⑸)とされ、④これを裏付けるものとして、実際に試作して効果を確認したという実施例が記載されている(同⑺)。しかし、上記②のパルス状の減衰波信号を与えてクラスターを小さくするとの作用機序については、本件明細書に「推論の部分もある」と記載されている(【0033】、【0034】)にとどまる。そして、減衰波信号によりクラスターを小さくすることに関してはそのような知見が存在することをうかがわせる文献等の証拠は提出されておらず、出願当時の技術常識からも不明であるといわざるを得ない。また、上記④の実施例についてみても、本件発明は、静電整流器を媒体管に接続し、パルス状の減衰波信号を媒体管に伝達することで媒体に供給するものであるのに対し、上記実施例では、静電整流器の出力に接続した電極が、接地された他の電極と共に媒体である水を満たした水槽に投入されている(本件明細書・図8(別紙))。したがって、本件発明とは媒体にパルス状の減衰波信号を供給する手段が異なるから、これを厳格な意味での「実施例」とみることは困難であり、その結果が本件発明の効果を示すものとは認められない。さらに、本件発明を実施するためには、使用電力量の減少という目的に反しない範囲で効果を奏するよう電圧を適切に調整する必要があると解されるが、本件明細書にこの点に関する記載がないことに加え、本件発明の構成により上記効果を奏するに至る作用機序が不明であることに照らすと、当業者が本件明細書又は技術常識に基づいて上記調整を行い得るともこれが単なる設計事項であるとも認めることはできない。そうすると、本件明細書の発明の詳細な説明に、当業者が、過度の試行錯誤を要することなく、本件発明を実施することができる程度の記載があるということはできない。

